
附子(ぶす)
むかし、むかし、金持ちのくせにけちな男が町に住んでいました。妻には生活費を徹底的に切り詰めさせ、無駄遣いはするな、と命じ、家計のやり繰りはことごとく調べました。困っている人を助けたこともありません。とうとう妻はそんな夫に愛想を尽かし、家を出て行ってしまいました。それからは、主(あるじ)と二人の息子、太郎と次郎の男三人だけで暮らすことになりました。
ある日のこと、男は所用で出かけました。出しなに、二人にこう言いました。
「ちょっと出かけてくる。留守番を頼むぞ。」さらに続けて、「いいか、これは大切なことなんだ。わしの部屋の押入れに附子(ぶす・毒)が置いてある。ちょっと毒気に当たっただけでも気持ちが悪くなるんだ。下手すると死んでしまうぞ。気をつけろ。部屋に入ってはならん。わかったな。」
二人は顔を見合わせ、声をそろえて答えました。
「父さん、わかった。心配しないで。」
父が出かけると、二人はまずはぶっそうな部屋には近づきませんでした。しかしまもなく毒を見たいという気持ちがふつふつとわいてきました。
「父さんの部屋に入って、中に何が入っているか見てみないか。毒気はあおげば、こちらに来ないだろう。」と太郎。
「わかった。」と次郎。
二人は、扇子(せんす)であおぎながら、恐る恐る父の部屋に入っていきました。
「もっと強く扇げ、次郎。」太郎は、押し入れの襖(ふすま)を開けました。すると何やら見慣れないつぼがありました。
「これだな。」太郎は、慎重に畳の上に置きました。しばし、眺めて、
「中に何が入っているんだろう。次郎、もっと強くあおげ。」
「蓋(ふた)をとってはだめだ。死んでしまう!」次郎は太郎にあきらめさせようとしました。
「心配無用だ。どんどんあおげ。」
次郎は、太郎のそばに座って、必死になってあおぎ続けました。太郎は思い切って蓋を開けました。中には何やら黒っぽい粉。二本の指でちょっと摘まんで舐めてみました。
「甘い!これは砂糖だ!砂糖は値が高くて、万人の手には入らないそうだ。おそらく、父さんはお金を貯めて、手に入れたんだ。うそをついてこの砂糖つぼにおれたちが近づかないようにしたんだ。」
太郎は宣言しました。
「舐めてやる!」
太郎は人差し指を舐めてから、つぼに入れました。満足そうに指についてきた砂糖をなめました。
「うまいなぁ!クリより甘いぞ!」
太郎の顔を見て、次郎も扇ぐのを止めて、砂糖を舐めました。
「本当だ!さつまいもより甘い。」
二人がかわるがわる砂糖をなめたものですから、とうとうつぼの砂糖はなくなってしまいました。
「おれたちが砂糖を全部なめてしまったことを父さんが知ったら、きっと腹を立てる。殺されるかも知れない。何とかしなければ・・・そうだ、いい考えがある。」と太郎。
太郎は床の間に近づき、見事な壁の掛け軸を、あろうことか引っ張って引き裂いてしまいました。次郎はそれを見てあっけにとられました。
「何てことを!父さんが大事にしていた掛け軸だ。とんでもないことになるよ。」
「心配するな。今度はお前の番だ。ちゃぶ台の上の湯のみ茶碗を壊せ。それも父さんのお気に入りだ。」と太郎。
次郎は茶碗を手に持って外に出ると、庭石めがけて茶碗を落としました。ガチャーン。粉々に壊れました。欠片(かけら)を拾うとちゃぶ台の上に戻しました。
男は数時間して帰ってきました。太郎と次郎は父の部屋で泣いています。父が部屋に入るのに気づくと、二人はわあわあ大声で泣き始めました。
「どうした、お前たち。」
「次郎と相撲をしていたんです。その時床の間の掛け軸を破いてしまいました。次郎をあのかどに投げつけたはずみで、こっちの体が床の間にふっ飛んでいったものだから・・・あれは父さんの大切な掛け軸なんだよね。」太郎は涙ながら言いました。
「ごめんなさい、父さん。兄さんに投げられた拍子においらの足が台の上の湯のみ茶碗をひっくり返してしまったんです。父さんの大事な茶碗を。」と次郎も泣いています。
「死んでお詫びするしかないと思ったんです。父さんから毒のことを聞いたので、二人で相談して、父さんが戻って来るまでに毒を飲んで死ぬことにしました。」と太郎。
そう言ってから、二人はうたい始めます。
「♪♪毒をひとなめ、死に切れぬ。毒をふたなめ、まだ死ねぬ。ほかに打つ手はないものか♪♪」
うたいながら、二人は逃げ出します。男はは砂糖つぼを一瞥(いちべつ)し、空っぽだと気づくと、息子達を大声で追いかけます。
「この悪がきめ!思い知らせてやる!待て!待て!」
しかしながら、うそをついたのは自分自身ゆえ、息子を責めることはできません。(kudos 狂言より)