五色の鹿
むかし、むかし、森の奥深くに、とてもめずらしい鹿がおりました。金色の角を持ち、その毛皮は五色に彩られていました。鹿は、その美しい毛皮と角のために捕まるのではないかといつも心配でした。そこで誰にも見つからないように、仲間からも離れて森の奥深くに独りで住んでいました。唯一の友達はカラスでした。 ある日のこと、鹿は腹ごしらえに山を下りました。大雨の後のすがすがしい一日でした。川が増水し、激しく流れていました。川に下りて、さあ、水を飲もう、としました。その時です。叫び声が聞こえてきました。 「助けてくれ!助けて・・・く!」 「誰だ。」鹿はあたりを見回しました。 男が急流に流されています。枝に捕まったものの、枝が折れてしまい、男はどんどん流されて行きます。 「溺れてしまう。」 鹿は川の中に飛び込むと、男を背に乗せ、必死に泳ぎ、どうにか岸までたどり着きました。鹿は脚を折りまげて身を低くし、男を草の上に降ろしました。まもなく男は意識を取り戻し、目の前の鹿が自分を助けてくれたことを悟りました。 「鹿さん、わしが溺れていたのを助けてくれたんだね。君は命の恩人だ。君のことは決して忘れないよ。どうお礼したらいいだろう。」と、男は元気のない声で言いました。 「何もいりません。困った人を助けるのは当たり前のことです。でも一つだけお願いがあります。私のことは誰にも言わないで下さい。人間は欲深く、欲しいものは何でも欲しがる、と聞いています。 私のことが知れたら、人間がここへやって来て、私を捕まえて毛皮と角を売ろうとするでしょう。」 男はうなずいて言いました。 「約束します。君は僕の命の恩人です。絶対約束は守ります。」 一月後(ひとつきご)、その領地のお殿さまの奥方さまが不思議な夢を見ました。そしてその夢のことをお殿さまに話しました。 「夢の中で、私は森の中にいました。すると、五色の毛皮の美しい鹿がどこからともなく目の前に現れ、私にお辞儀をしました。」 「奥よ。お前の見る夢はいつも正夢だ。この領地のどこかに五色の毛皮の美しい鹿がいるに違いない。家臣にその鹿を見つけさせよう。」 お殿さまは領内に数枚の立て札を立てました。
五色の鹿について知っているものがあれば届けいでよ。その者には褒美を取らせるであろう
領民は立て札を見上げて、あれこれと話し合いました。 「何だと。五色の鹿?」 「そんなものがいるわけない。お殿さまは頭がどうかしている。」 でも、たった一人その美しい鹿を知っているものがいました。そのものこそ鹿に命を助けられた男でした。男は貧乏暮らしゆえ、腹の底から褒美が欲しかったのです。 「お殿さまに鹿の居場所を教えれば、お金が一杯もらえて金持ちになれる。」 男はお城に向かって飛び出すと、すっかり鹿との約束を忘れてしまいました。 お殿さまは、その貧しい男の話に耳を傾けました。 「奥の夢はまさに本当だ。すぐにそこに案内いたせ。」 男は鹿がいた場所にみんなを連れて行くことにしました。お殿さまを先頭に、弓矢を持った家来が後に続き、森の中に入っていきました。 五色の鹿は、森の野原の草の上で寝ていました。すると、友達のカラスが、突然木の上で叫び声を上げました。 「大変だ!ここにお殿さまと大勢の狩人がやって来る。君は見つかって殺されてしまう。」 鹿もたくさんの足音が四方八方からだんだんと近づいて来るのがわかりました。 「このままだと誰かに射られてしまう。いっそお殿さまの所に行って、お殿さま手ずからに殺された方がいい。」 鹿は、勇気と誇りを持って、お殿さまの所へまっすぐ歩を進めました。 家来たちは、鹿の突然の出現に呆然としました。その美しさにただ見とれるばかりでした。しばらくして我に返り、弓に矢をつがえて鹿を取り囲みました。 お殿さまが家来に命じました。 「待て!鹿がわしを恐れずにやって来るのには、それなりの理由(わけ)があるに違いない。決して射てはならぬ!」 鹿はお殿さまの所に近づくと、歩(ほ)を止め、脚を折り曲げ、身を低くしました。驚いたことに、鹿はお殿さまに人間のことばで話しかけました。 「私は、人間に見つからないようにこの森の奥深くに住んでおります。お殿さま、どうして私の居場所がわかったのですか。」 「この男がここへ案内してくれた。」 お殿さまは後に隠れている男を指さしました。川で助けたあの男でした。 鹿は男に言いました。 「川で溺れているのを助けた時、あなたは私のことを誰にも言わないと約束しましたね。それなのに私を殺すためにここにやって来た。もしそうなら、あなたは大嘘つきです。」 男は深く頭(こうべ)を垂れ、黙ったままでした。お殿さまは、それを聞いて、鹿にすまないことをした、と思いました。
「よくわかった。お前は鹿にもかかわらず、この男の命を助けた。一方、この男は人間なのに、お前を裏切った。どちらが信頼に足るかは明白である。」 お殿さまは、男を捕らえて首を切るように、家来に命じました。 鹿は悲しげな声でお殿さまに言いました。 「お待ち下さい!この人も自分のしたことを後悔しているに違いありません。どうか命を助けてやって下さい。」 お殿さまはその言葉に心を打たれ、殺すかわりに島流しにすることにしました。そして、こんな立て札を立てました。
これ以後は動物を射てはならね。 動物を殺す者は死罪に処す。
それ以降、人々は鹿狩りだけでなく他の動物の狩りもしなくなりました。お殿さまの優しさが内外に行き渡り、領内はますます平穏に、そして繁栄しました。(Kudos) 宇治拾遺物語・改