
二人の妻
今はむかし、京の御所に仕える高い位の者がおりました。その男には、夫に心からつくす妻がおりました。ところがある日、いと若くてあでやかなさまの娘を見かけ、心奪われてしまいました。それからというもの、その娘のもとに足しげくかようようになりました。当時、貴族が時を同じくして別の妻を持つのは当たり前のことでした。貴族の夫たちは自分の家で妻と暮らすのではなく、夫が妻のもとに通い、寝食を共にしていました(通い婚)。思いやりのある優しい夫は妻の所を順番に回ったものでした。しかし、この男は若い娘を妻にしてからというもの、長年つくしてくれた妻をたずねることがなくなりました。明らかに頭の中にあるのは若い妻のことだけでした。忘れられた妻は寂しく思っていました。
「あのお方は、この身をお忘れなのでしょう。悲しいことです。」とため息をつきました。
ある日のこと、都から少し離れたところに遣わされ一晩泊まった折、膳にとてもおいしい貝がつきました。次の日、浜辺に出かけ、波間にゆれる海藻をつけた貝を数枚見つけました。
「あの貝は昨晩食べたものと同じに違いない。愛しい妻に見せてあげたいものだ。」
男は、使いの者に貝を幾つか届けるように言いました。
「この貝を妻に早急に届けてくれ。それから、必ずや興味を持つと思うゆえこれを送る、楽しんでくれ、と伝えて欲しい。」
しかしながら、その若い使いは勘違いして主(あるじ)が長年連れ添った妻に貝を届けると、送り主(ぬし)の言葉を伝えました。この妻にとっては意外なことでした。訪れることもなく打ち捨て置かれた寂しい日々、それなのにこの贈り物ですから。
「あるじは今いずこにいますやら。いずこかの旅の空でしょうか。」妻は尋ねました。
「ご主人さまはただいま海辺の里におられます。そこでこの貝を手に入れられ、あなた様に届けるよう私にお命じなさいました。」
「そんなはずはない。この使いの者は主の言った意味を取り違えたのでしょう。」と妻は思いましたが、
「確かに受け取りました。お気持ちありがたく存じます、とお伝え下さい。」と言いました。
それから、海藻のついた貝に趣を感じ、桶の塩水の中に貝を入れて、貝が舌を出して水を吸ったり吐いたりしているのをあかず眺めていました。
使いの者は、主(あるじ)の所に戻り報告しました。
「無事に奥様の所へ届けて参りました。」
男は、若い妻が海藻のついた貝を見て喜んでいる、と思いました。
数日後、男は都に戻ると、若い妻を訪ねました。妻の顔を見るなり言いました。
「先日届けたものはあるかな。」
「あなた様から何をもらったというのでしょう。」と聞き返しました。
「海藻のついた貝を見つけて、気に入ってくれると思って、使いの者にすぐ届けるよう言ったのだが。」夫は首を傾げながら言いました。
「貝などどいうものは届きませんでした。もし届いていたら、とっくに頂いていたでしょう。海藻も酢の物にして頂くわ。」
男は部屋から出ると、使いの者に尋ねました。
「一体誰に貝を届けたのだ。」
「奥様に届けました。つまり、前からの奥様です。」
「すぐに行って取り返してきなさい。」
若い使いは間違えて渡した妻の所へ急ぎ、貝を返してくれるよう頼みました。
「思った通り私に送られたのではなかったのですね。」と思い、妻は桶と綺麗な和紙を持ってきました。その和紙に一首したためると、桶を和紙で覆い、紐(ひも)で縛りました。
「しっかり持って下さい。いいですか、水をこぼしてはいけませんよ!」と言いました。
夫は、和紙に書かれた歌に気づきました。
たまさかに わが背の給(たま)いし貝なれば 日暮し(ひぐらし)あかず 眺めておりぬ
男は、この歌を読んで、妻の優しさ、優雅さを思い出しました。桶の覆いを外しました。
「貝がまだ水の中で生きているぞ!」夫はいたく感銘しました。
「若い妻は、もし貰っていたらとっくに頂いていた、と言っていた。あの浅はかな女に比べ、この者の何と上品で、趣のあることよ!」
男は、貝を持って足遠のいていた妻を再び訪れる気持ちになりました。その後長年にわたり仲むつまじく過ごしました。あの若い妻にはすっかり嫌気がさし、二度と訪れることはありませんでした。(kudo)「今昔物語」より