
船幽霊
むかし、むかし、ある漁村にこんな言い伝えがありました。
お盆の夜には、決して舟を出すな。あかとり(船底に溜まった水をくみ出すための道具)を奪われ、舟は水浸しにされて沈んでしまう。
この言い伝えを信じているのは年寄りだけで、若者は決して信じようとはしませんでした。
「そんなのただの迷信だ。俺たち漁師にとっては、盆も正月もない。」
数人の血気盛んな漁師が、お盆の晩、沖に小舟を出しました。海は穏やかで夜空には星が輝いていました。
鼻歌をうたいながら、海に網を投げ入れました。投げ終わると、一人の男が、沖の方を指差して叫びました。
「見ろ!あれは何だ!」
真っ黒な雲がやってきます。
「空模様が怪しくなった。」
すぐさま網を引き揚げました。すると、だんだん近づいてくる雲の中から不気味な声が聞こえてきました。
「待てーっ!」
「待てーっ!」
「『待て!』っちゅう声がしなかったか?」
「くそっ!待ってたまるか!急げ、浜に向きを変えろ。」
雲は、もう少しで小舟に追いつくところまで来ると、渦巻くように空に舞い上がり、大きな船に姿を変えました。そして、静かに漁師たちの小舟の方にやってきます。漁師たちは、今までにそんな奇妙な船を見たことがありませんでした。
「舳先に竜頭(りゅうず)がついているぞ。南蛮の船だ。」
何百本という松明(たいまつ)が一瞬にして船に灯(とも)り、まわりの海を明るく照らしました。
「すごい!こんなの初めてだ!」
「松明だ!松明だ!」漁師は一斉に叫びました。
うっとりしている間に、さらに船が近づいて来ました。
「おかしいぞ。誰もいないぞ。」
今にもぶつかりそうになった時、泣き声のような、唸り声のような声が聞こえてきました。
「あかとりをよこせー」
「あかとりをよこせー」
悪寒(おかん)がぞくぞくっと背筋を走りました。若者たちは年寄りの警告を思い出しました。
あかとりをとられたら、命も奪われる。あかとりを誰にも渡してはならぬ
「あかとりをかくせ!急げ!」
そう叫ぶやいなや、何百本という松明がフワッと浮き上がり、小舟に向かって飛んで来ると、小舟を取り囲みました。そして、それぞれの松明から白い手が伸びて来て、こう言いました。
「誰から始めよう。」
「誰を道連れにしよう。」
若者たちは叫びました。
「助けてくれ!船幽霊だ!」
「助けてくれ!船幽霊だ!」
何百という白い手が、船べりをぎゅっと掴んだので、小舟はどうにも動きがとれませんでした。
「あかとりをよこせ・・・」
「あかとりをよこせ・・・」
船幽霊の白い手がそっと一人の若者の顔に触りました。
「ギャー!!」
若者は無意識のうちに、あかとりを海に投げ込みました。すると、たった一個のあかとりが、何千ものあかとりに変わりました。船幽霊たちは一本、一本、あかとりを掴むと、海から水をすくい、小舟の中に注ぎ込みました。
「助けてくれ!船幽霊だ!」
「助けてくれ!船幽霊だ!」
若者たちは、皆狂ったように助けを求めて叫びましたが、いくら叫んでも、白い手は、水を汲みつづけました。小舟は、まさに海の中に引き込まれようとしていました。
すると、大きな炎(ほのお)が浜辺で燃え上がりました。それは、先祖の霊を迎える迎え火でした。炎は赤い雲になると、生きもののように船幽霊の方に漂って行きました。船幽霊の上空に雲が広がり、火花が散り、赤い炎が叫びました。
「お前たち、南蛮の幽霊よ、静まれ!」
「浜辺の迎え火を見てみるがよい。我々は海で死んだ漁師の幽霊である。お前たちもそうであろう。我々とお前たちは同じである。生者への悪ふざけはやめて、消え失せろ!!」
すると、白く長い触手は船の松明の中に吸い込まれていきました。南蛮の船は、何百もの松明とともに沖へ、沖へと消えていきました。(kudos)