
ひと釣り
饅頭というものは、昔から、日本人の大好物の一つでありました。お饅頭屋は、特に江戸時代、あちこちに散在し、食べたい時、何時でも食べられました。饅頭は、時には、茶店でも売っていました。お茶を添えて出してくれました。
ある日のことです。一人の旅人がちょっと一休みと、そんな茶店に立ち寄りました。晴れた春の日、周りの木々は美しい新緑で覆われ、野の花があちこちに咲いていました。そよ風が吹き抜けていました
「一休みするにはもってこいの場所だな。」旅人は、長歩きでへとへとです。でも、茶店の長いすに腰かけ、お茶をすすりながら饅頭を食べてのんびりしていると、疲れが抜けて行くようでした。川のせせらぎが聞こえてきます。ちょっと遠くに目を投げてみると、茶店と山の間に川が流れていました。
子供が川岸で釣りをしています。釣り上げるとき喜ぶのを見たいと思いました。そんな場面が来るのを心待ちしていました。でも子供はじっとしているだけです。待てども、待てども、何の獲物もなしです。旅人はついに我慢しきれず、子供のところに行ってみることにしました。
「やあ、いい天気だね。釣りは楽しいかい。何を釣っているんだい。」
「こんにちは。おじさん。特に何ってことないよ。でも釣りは好きなんだ。」
子供の声はどこか沈んでいるように思えました。
「そんなにがっかりしなくてもいいよ。人生、苦もあれば楽もあるんだよ。あそこの茶店で、饅頭でも食わないか。おごってやるよ。どうだい。」
「本当、おじさん。親切なんだな。ありがとう。僕、饅頭大好きなんだ。」
子供は、旅人の申し出を受け入れ、うれしそうでした。男は、子供を茶店の長いすに座らせてやりました。
「お願いします。饅頭三つ、お茶一つ。この子に。私のおごりです。」男は茶店のかみさんに元気に声をかけました。
「かしこまりました。饅頭三つとお茶一つですね。すぐにお持ちいたします。」
旅人は子供が饅頭を食べている姿に喜びを感じました。
「まるで豚のようだね。相当腹が減っていたんだね。良かった。良かった。貧しい子供の人助けだ。」旅人は自己満足していました。子供に親近感を覚え、優しく聞きました。
「今日は、一匹も釣れなかったんだね。そうだろう。普通は何匹釣れるんだい。」
子供は、饅頭を食べ終わり、悪びれずに答えました。
「うん、普通は二匹。でも今日は3匹釣れたよ。」
「でも、びくには一匹も入ってないじゃないか。」
子供は、旅人にニコッとすると、指差して言いました。
「おじさんが、今日の三匹目なんだ。」
「私が?お前の獲物?うーん、お見事!」
旅人は苦笑いをすると、まんまと子供の罠にはまったことを認めました。それでも、まだ子供の貧相な様子から、一人孤独な生活を送っているのか、たとえ親がいても病気か、何かしらまずいことがあるのかもしれない、と思っていました。そこで優しく子供に言いました。
「お前さんには負けたよ。ところで、お前さん、どこに住んでいるんだい。親はいるのかい。」
「もちろん、いるよ。紹介するよ。あそこにいるのが、僕のお父さん。お父さんのお饅頭はおいしいだろう。それから、お母さん。お茶と饅頭をもって来てくれるんだ。」
お母さんは、笑顔で、深く頭を垂れて、言いました。
「本当にありがとうございます。またどうぞお出で下さい。」
旅人は、今度こそ完璧に騙されたことに気がつきました。一度は疲れが取れて、旅を続ける元気が出たのに、またどっと疲れてしまいました。精神的にやられてしまったのです。
お察しの通り、子供が釣っていたのは魚ではなく、この旅人のような人間だったのです。(kudo)