
腰元かに
むかし、むかし、榛名山のすぐ近くの村に長者さんが住んでおりました。長者さんには、とても美しい娘さんがいて、ことの外娘さんを可愛がっておりました。
ある夏の日のことです。娘さんは数人の腰元をお供に榛名湖周辺に出かけてみることにしました。
榛名山は群馬県にある2重火山です。過去3回、5世紀に一度、6世紀に二度噴火しました。火口丘の形はとても美しく、榛名富士(1391m)と呼ばれています。榛名湖はそのカルデラ湖です。近年は、釣りの名所として、特に冬場、湖の表面が凍る頃、わかさぎ釣りをする人たちで賑わいます。
娘さんたちは、深緑で覆われた美しい山を眺めて楽しんでいました。さまざまな野の花も咲いています。まわりの木々からは蝉の声も聞こえてきます。天気にも恵まれ、腰元の勧めで小船にのることになりました。一艘の小舟に乗りこむと、腰元たちが舟を漕ぎ出しました。娘さんは舟の中ほどに静かに座っておりました。湖を見回したり、水面を見たり、みんな楽しく時を過ごしておりました。
小船でうきうきと進んで行くと、空が一瞬にして黒雲に覆われてました。穏やかな景色は一転して恐ろしいものに変わってしまいました。雨が降り始め、まもなく土砂降りになりました。風も強くなり、波が高くなってきました。舟は大きく揺れ始めました。
「落ち着いて。大丈夫よ。岸に戻りましょう。」娘さんが叫びました。腰元たちは、力の限り舟を漕ぎましたが、思うようには進みません。大波が舟にかかってきました。その時です。娘さんは、あっと言う間に、波に飲み込まれてしまいました。そして一瞬にして娘さんは湖の中に消えてしまいました。しばらくすると嵐が収まり晴れ間が見えはじめました。舟は、湖畔にどうにか戻れたものの、悲しいかな、そこには、娘さんの姿はありませんでした。
その悲しい知らせはすぐに長者さんの耳に届きました。気の毒にも父親は、最愛の娘を探してくれるように村人にお願いするのでした。湖の中や周辺を懸命に探したにもかかわらず、娘さんの亡骸はおろか着物すら見つかりませんでした。
いつしか、こんな噂が広まりました。
「あの子はとても綺麗な娘だったから、湖の神様がお嫁さんに迎えたかったのでしょう。」
噂は、村人たちの間に伝わっていきました。
両親は、明けても暮れても、娘さんの死を悲しみました。その深い悲しみを見るにつけ、一緒に船に乗っていた腰元たちは、罪の意識で一杯でした。とうとう次々と湖に身を投げてしまいました。長者さんは、このことを聞いてさらに一層悲しみました。
村人も大層気の毒に思い、なんとか弔いを持ちたいと思いましたが、腰元たちの亡骸も見つかりません。奇妙な話ですが、腰元たちは、カニに姿を変えて、娘さんを探すためにそうしているのだと信じるようになりました。
濁った湖水は次第にきれいになっていきました。カニがゴミや、死んだ魚や、葉っぱを食べているのです。湖は日に日に、透明度を増し、きれいになっていきました。人々は、主を探すカニがそうしていると信じるようになりました。何時しか、榛名湖のカニは「腰元かに」と呼ばれるようになりました。
もし榛名湖を訪れることがあれば、きっとその湖水の透明できれいなことに驚くことでしょう。湖水の石をどけて御覧なさい。きっとカニがいますよ。その動いている様子は、まるで行方知れずの美しい娘さんを探しているみたいです。(kudo & Itaya)