お夏清十郎

onatu1 17世紀、江戸時代、姫路(兵庫県)に但馬屋という米問屋がありました。当主九右衛門には、とりわけ可愛いお夏という十六歳の娘がおりました。お夏は降るほどの縁談に見向きもしないのでした。

ある日、この米問屋では、姫路の西、室津の造り酒屋の息子、清十郎という男を雇いいれることにしました。もともとは酒屋の跡取り息子でしたが、遊女と心中沙汰を起こして勘当になったのです。相手は亡くなりましたが、清十郎は死にそこないました。しばらく寺に預けられていましたが、将来を心配する親戚の口利きで、ほとぼりが冷めるまで但馬屋の奉公人として働くことになったのです。

清十郎は心を入れ替え、いままでのことを忘れようと、まるで別人のように一心不乱に働きました。
ある晩、清十郎は同じ但馬屋に奉公している女中に帯の仕立て直しを頼みました。女中が、帯の縫い目をほどくと、中から文(ふみ)が数通でてきました。差出人は本気で清十郎を愛した遊女たちからのもので、恋文を見た女中たちは、興奮して読み回しました。
但馬屋の娘、お夏もその恋文を目にしました。遊女たちを本気にさせる清十郎とはどういう男なんだろう、とお夏は清十郎の男前の顔を思い描くようになり、いつしか恋心を抱くようになりました。
清十郎はと言えば、恋文を読んだ女中たちの注目の的でした。恋文を出す女中も出てきました。お夏も恋文を書きました。次から次へと。清十郎のお店(たな)づとめに差しさわりが出てきました。お夏の清楚さと美しさの虜になり、ぼーとして仕事もおろそかになってきました。しかし二人にはめったに逢える機会はありません。二人の間には、世間の言う身分違いと言う垣根がありました。一方は米問屋の娘、一方は奉公人にすぎませんでした。二人は互いに恋する人に思いを馳せ(はせ)、過ごす毎日でした。

春のある日、但馬屋の女子衆(おなごしゅう)は海沿いの花見に繰り出しました。お夏も一緒でした。天気もよく、桜も満開でした。木の間に長い綱を張り、場所を確保しました。艶やかな小袖を幕のように綱に掛け、他の衆に邪魔されることなく幕の内で酒や肴(さかな)を楽しみました。
お夏にとって花見などどうでもいいことでした。気になるのは但馬屋の女子衆の付添役として外に立っている清十郎のことだけでした。今こそ千載一遇(せんざいいちぐう)の好機と思いましたが、女中たちの目があります。お夏はいらいらしてきました。
そんな時、少し離れた所から太鼓と笛の音が聞こえてきました。獅子舞の音でした。花見の人たちは駆け出し、獅子舞を取り囲みました。但馬屋の女たちも、お夏を残してみんな走って行きました。
女中たちが行ってしまうとすぐ、清十郎がそっと忍び込んできました。もの言う間もなく、当主の娘をしっかり抱きしめると、鬢(びん)のほつれも気にかけず、二人は結ばれました。二人は小声でささやきました。
「愛しい(いとしい)ひと、お夏さん。」
「お慕いしています。清十郎さん。」
onatu2 ひとたび燃えあがった恋の炎(ほのお)を消すのは容易なことではありません。二人で大阪に駆け落ちすることにしました。

数日後、店を抜け出し、手に手をとって船着場へと走り、上方行きの船に乗り込みました。
船の中で、清十郎はお夏に言いました。
「時が経(た)てば、みんな私たちのことは忘れるでしょう。あなたと一緒なら貧しくてもかまいません。裏長屋を借りて、二人の生活を始めましょう。」
お夏はうれしそうに微笑みました。
しかし順風満帆(じゅんぷうまんぱん)というわけには行きませんでした。飛脚が荷を港に忘れてきたのです。船は引き返しました。
船が港に着くやいなや、二人は追っ手に捕らわれてしまいました。お夏は籠に入れられ、清十郎は牢にしょっ引かれました。

さらに悪いことに、清十郎には思いもよらぬ詮議が待っていました。お店(たな)の小判七百両をお夏に盗ませ、駆け落ちしようとした、という嫌疑でした。
清十郎は、びた一文盗んでいない、でっち上げだ、と言い張りましたが、聞き入れられませんでした。身の潔白を証明できぬまま、1661年4月18日、ついに処刑されてしまいました。清十郎二十五歳の春のことでした。

六月のある日、倉の着物の虫干しをしていた女中が、長持ちの中から七百両を見つけました。当主がすっかり忘れていたのです。その事実にみんな慌てましたが、もうとり返しはつきませんでした。
一方、お夏は、清十郎の悲報も知らないまま部屋に幽閉され、毎日清十郎の無事を祈っていました。
onatu3 ある日、お夏は子供たちの囃子(はやし)を耳にしました。

清十郎殺さばお夏も殺せ
 

お夏は、乳母に清十郎のことを尋ねました。お夏に問い詰められ、乳母は涙を流し、清十郎が処刑されたことを打ち明けました。清十郎の死を聞いて、お夏の心は打ち砕かれました。

むかい通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た菅笠が
清十郎殺さばお夏も殺せ 生きて想いをさしょよりも

      

お夏にはもう父親の悲しみもわかりません。うつろなまなざしで、けらけら笑いながら、子供たちの輪に入り、踊り狂うのでした。清十郎が眠る塚に雨の日も風の日も通いました。お夏は完全に狂ってしまいました。お夏の心は二人が結ばれた桜の木のもとをさまよっているのかもしれません。(Kudos)

Onatu