海賊入道

temple むかし、むかし、ある村の山寺に老僧が住んでいました。ある日のこと、一人の旅人が寺を訪れ、老僧に一晩の宿(やど)をお願いしました。
「ああ、よかったらどうぞお泊まり下さい。さぞや今でも心に残っているような経験をお持ちでしょう。よかったらお聞きしたいのですが。」
「それほど感動的、というほどではありませんがね。私はもと船頭を生業(なりわい)にしておりました。ある日、海賊に襲われまして、海に放り込まれたのですが、危うく死を免れたことがあります。もう命がけで岸まで泳ぎましたよ。」
船頭の話を聞き、老僧はしばし考え込みました。そして自分もかつては海賊であったと語り始めました。それはこんな話です。

「若いときは、海賊をしていましたから、毎日命がけの生活でした。船や小舟を襲っては、積み荷を奪っていました。ある日、遠くに舟が見え、まもなく舟をこぐ船頭と、積み荷のそばに座って経を唱えている老僧が見えました。
『格好の獲物だ。乗り込んで荷を奪え。』私は手下に命じました。
船頭は手を合わせて命乞いをしました。
『この舟にあるもの全て差し上げます。どうかお助けを!都にいる年老いた母の見舞いに行く途中です。余命幾ばくもない母は、死ぬ前にひと目私に会いたいと申しております。』
『ふん!こいつを最初に片付けろ!』私は手下に言いました。
一人の手下がその者の腕をつかんで海に投げ込みました。その者は岸に向かって泳いでいきました。
その間、老僧は何事もなかったかのように、目を閉じ、舟の上で経を唱え続けていました。私はその僧を担ぐと海に投げ込みました。
すぐに溺れ死ぬだろうと思ったのに、何と驚いたことに、波音に混じって経が途切れ途切れに聞こえてきました。その僧は海の中に沈んだかと思うと、また浮き上がってきました。
『しぶとい奴だ。やってしまえ!』私は声を荒げました。
手下は、老僧の頭や肩を、櫂(かい)で思いっきり叩きました。
老僧は、何度も海に沈みましたが、その度に浮かび上がってお経を唱え続けました。
よく見ると、水に沈まないように子どもらが老僧を支えているのです。
『見ろ!子どもが坊主を支えているぞ!』
『一体何を言ってるんだい。子どもなんて見えませんぜ。』手下はこう言いました。
どうやら私にだけ子どもらが見えていたのです。気味が悪くなって櫂を差し出し助けてやりました。老僧は櫂を掴んで舟に上がってきました。
すると子どもたちは見えなくなりました。
『ご坊は旅を終えて都の寺に帰るのか?』私は尋ねました。
priest 『なんの、愚僧は田舎住まいの僧侶じゃよ。都のはずれの比叡山延暦寺の修行に向かうところじゃった。』
『ところで、ついさっきまでご坊を水の中で支えていたあの子どもらは一体何者なんだ?』と聞くと、
『そんな子どもらなど、会ったこともないのう。』と答えました。
『では海の中にいる間、何故(なにゆえ)経を唱え続けていた?』と尋ねると、
『たとえ溺れたとしても死ぬのが恐ろしいなどとは思わぬ。経典は愚僧の命よりはるかに尊いものじゃ。それ故、唱え続けていたのじゃ。おお、そうじゃ。水の中で一心にお経を唱えていた時に得もいえぬ感じがしましてのう。濡れて重くなったはずなのに、かえって身体が軽くなったような感じがしたのじゃ。死に直面していたのに幸せな気分じゃった。これも仏陀のご加護に違いない。』と老僧は言いました。
私はその僧の言葉に心を動かされ、こう申しました。
『ご坊はまだ延暦寺に行くおつもりか。そのつもりなら俺が連れて行くぞ。』
『いいや、気が変わった。田舎の愚僧の寺に戻るつもりじゃ。』
『そういうことなら俺がご坊の寺まで供をしよう。ところで、ご坊はあの子どもらを誰だと思う。』
老僧は考え込んでいましたがこう言いました。
『愚僧は七歳の時から何時でも、何処でもお経を唱えていましたのじゃ。あの子どもらは、経典を唱えるものを守護すると伝えられる十人の守護童子(どうじ)でありましょう。仏陀に代わって愚僧を助けて下さったのじゃろう。』
私は生まれて初めてお経の尊さを悟りました。私はその場で、全てを投げ打ってこの老僧について経典を学ぼう、と決意しました。気が狂ったと思われても私の決心は変わりませんでした。修行僧になるべく頭を剃り、はるばる老僧の寺までお供しました。私は、経を唱え、むかしの非道を償っております。」

こう言うと、元海賊の老僧は旅人に微笑みました。(kudos) 「宇治拾遺物語」より

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