
酒の泉
むかし、むかし、とてもかわいそうな男の子がおりました。幼い頃、父を亡くし、十三歳の時には母を亡くして一人きりになってしまいました。一人残され途方に暮れていると、近所の雑貨屋の主人がやってきました。その人は男の子を見て気の毒に思ったのでしょう。家に連れ帰って、その子の面倒をみることにしました。男の子はもう十分に店の手伝いができる年頃でしたので、毎日、お店のまわりを掃除したり、お客さんの御用聞きに出かけたりして、いつしか主人の信頼も得るようになりました。
数年が経ち、男の子は今や立派な若者に成長し、前にもまして一生懸命働きました。
ある晩のことです。若者が御用聞きから戻ってくると、何となくお酒の匂いがするのに主人は気づきました。
「息が酒臭いな。」と思いました。
次の日は、顔を真っ赤にし、機嫌よく歌いながら戻ってきました。きっと御用聞きの途中でお酒を飲んだに違いありません。主人は、彼を呼び寄せ咎(とが)めました。
「お前さん、酔っ払っているね。第一、お酒を買うお金などないだろう。どこでお金を手に入れたのだ。集金の銭(ぜに)をくすねたのか。それとも何か悪いことにでも手を染めたのではないだろうね。」
「大声で歌なんか歌ってすみませんでした。反省しております。誓ってもいいです。お酒など飲んでいません。長年のご恩も決して忘れたこともありません。ご恩に報いるため一生懸命働いてきました。お金ですか。ああ、そのことなら心配ご無用です。あれが、ご主人さまの言う酒というものでしたら、天からの贈り物です。」と若者は答えました。
「天からの贈り物?何のことだ。」ご主人は口をよじらせ、苦笑いをしました。根っから疑っているようでした。
「信じられないのも、ごもっともかと思いますが、実は、昨日、山のせせらぎの脇で泉を見つけたのです。ずっと歩き回って、のどがカラカラでしたので、その泉を見つけると、手ですくって飲んでみました。その水のうまかったこと。その味が忘れられず、今日もまたそこに行ってきました。」
若者は、ほろ酔いの原因を主人に信じてもらおうと真剣でした。
「お前がうそではないというのなら、私をそこに案内してくれ。あればよし、なかったら許さんぞ。」
若者は、おいしい水を飲んだその泉に、主人を連れて行きました。
「一口飲んでみればわかります。」と言うと、若者は両手で水をすくうと、主人の口元に差し出しました。主人は、若者の手の中の水を、口に含んでみました。驚いたことに、それはまさに酒でした。これほど上等の酒はめったに味わえるものではありません。
主人は若者にうれしそうに言いました。
「これはうまい。こんな上等な酒は初めてじゃ。酒屋を開いて日本一の酒を売ろう。」
さっそく、主人は酒屋を建てると、酒を貯蔵する大きな樽や、商いに必要な道具を用意し、まずは樽に酒を入れてみました。一樽詰め終り、ほっとすると一杯飲んでみることにしました。
「おかしいな。酒ではなくただの真水だ。」と声をあげると、もう一回口に入れてみましたが結果は同じでしたから、この上なくがっかりしました。主人はあの泉に急いで戻って、水をすくってみましたが、もはや酒ではありませんでした。
若者を呼び寄せると、文句を言いました。若者が水をすくって飲むのを、主人はじっと見つめました。若者の顔が見る見る赤くなるではありませんか。若者が飲んだのは明らかに酒でした。
主人は何事か合点したのでしょう。若者にこう言いました。
「この泉は、天からの私への褒美と思ったが、どうもお前への褒美のようだな。お前に酒屋の店も道具もそっくりあげるから、お前が商いをしなさい。」
酒の泉はその後も枯れることはなく、若者の商いは順調に進みました。そして酒屋だけでなく、雑貨屋の商売もうまく行くようになりました。主人と若者はお金持ちになりました。いつしか若者は「酒長者」と呼ばれるようになりました。めでたし、めでたし。(2005.3.27)