
山椒大夫(安寿と厨子王)
昔々のお話です。旅装束(たびしょうぞく)の親子連れが、田舎道を疲れきった足どりで歩いていました。
親子が目ざしているのは筑紫の国(今の福岡県)で、夫であり、子どもの父親である平正氏(たいらのまさうじ)がそこに左遷されていました。かつては、岩代(いわしろ)の国(東北地方)の判官(ほうがん)の位にありましたが、十二年前、誣告(ぶこく)により、筑紫に左遷されたのです。妻は、消息の絶った夫の安否を気遣い(きづかい)、十四歳になる娘安寿と十二歳の息子厨子王を連れて筑紫に旅立つ決心をしたのです。筑紫は、はるか彼方にあり、旅の前途にある苦難を懸念しておりました。
あたりは暗く、冷たい秋風が吹いていました。母はその夜一夜が過ごせる場所を探していました。しかし、土地の掟により一夜の宿を与えてくれる者はいませんでした。その夜は橋の下で寝よう、と子どもたちに言いました。
橋の下で休んでいると、老人が近づいて来ました。老人は、やさしく言いました。
「こんな所で寝ていると、お子達が風邪を引きますよ。どうですか、今夜は私の家に来ませんか。」
老人は三人を家に連れて行くと、子どもたちがぐっすり寝ている傍ら、母の身の上話に耳を傾けました。
「九州に行くのなら、舟の方が、陸路より安全で早いですよ。都合のいいことに明朝そこにいく舟がありますから、手配してあげましょう。」と老人が勧めました。
翌朝、海辺に行くと、二艘の舟が杭(くい)に繋(つな)がれていました。その脇に船頭がそれぞれ待っていました。
「奥方はこの舟にお乗り下さい。お子達はあちらの舟に。」と一人が言いました。
二艘の舟は、最初は並んで進んでいましたが、徐々に違う方向に進み始めました。
「どういうわけで二艘の舟は離れていくのですか。」母は、気が動転するばかりに驚き、船頭にきつく尋ねました。
「あの年寄りからお前さんを買ったのさ。」とにやにやしながら船頭が言いました。
「安寿やー!厨子王やー!」
母親は半狂乱になって、声を限りに子どもの名前を叫びました。
「母上ー!母上ー!」二人も声を張り上げ、必死に手を振りましたが、母親の乗った船は、はるか彼方に離れ、やがて見えなくなってしまいました。
二人の子どもは丹後の国の山椒大夫という男に売り渡されました。大夫のところには大勢の奴婢(ぬひ)が働いていました。
太夫は、姉と弟の顔をじっと見て、言いました。
「ふーむ...お前ら二人は、大人と同じ仕事量をこなすには、まだ幼くて、体が華奢(きゃしゃ)だな。よーし...女は海で潮汲み、男は山で柴刈りだ。しっかり働けよ!」
以来、二人は命ぜられた通り、朝早く起き、一日中休むことなく働かなければなりませんでした。
「厨子王、怪我をせぬよう注意するのですよ。」
「姉上もお体をおいといください。」
二人は、毎朝、それぞれの仕事場に向かう時、お互いのことをいたわりました。そして、夜は両親のことを話して辛い一日を終えるのでした。
ある晩のこと、二人は小声で話していました。
「母上は佐渡島のどこかに売られたようで、そこで暮らしているそうです。そのうちにここから逃(の)がれ、母上を探しに行きましょう。」姉が言いました。
「ぜひともそうしましょう!」弟が答えました。
生憎(あいにく)なことに山椒大夫の三男、三郎(さぶろう)が小屋の近くを通りかかり、二人の会話を聞いてしまいました。荒々しく戸を開けると、
「お前たちは逃げる算段をしていたな!痛い目に逢わせてくれる。」と言うと、手に持った棒で、二人の体と言わず、顔と言わず、所かまわず打ち据(す)えました。二人は崩れるようにどっと倒れると、激しい痛みに意識を失ってしまいました。
無情な男が立ち去り、しばらくすると二人は意識を取り戻しました。
安寿は懐(ふところ)から小さな地蔵尊を取り出し、両手をお守りの地蔵尊の上に置きました。厨子王も同じようにしました。
驚いたことに、二人のひどい傷と痛みはあっという間に消えていました。
ある春の日、姉は弟と一緒に山で働けるように必死に哀願しました。やっと許可が出たその日、姉は初めて弟と山に出かけました。でも柴刈りをするつもりはありません。代わりに、弟をひそかに山の頂上に連れて行き、道を指さし、こう言いました。
「あの道を真っ直ぐ行けば都です。そこにいけば両親の手がかりが見つかるかも知れません。」
姉は、弟の首のまわりに地蔵尊を掛けてやりました。
厨子王はありったけの力で走りました。そして日が暮れる前に大きなお寺にたどり着きました。
「山椒大夫の所から逃げてきました。どうかかくまって下さい。」厨子王は手を合わせて住職にそう頼みました。住職は力強く頷(うなづ)きました。
その晩、三郎とその手の者がお寺に押しかけて来ました。
「ここに逃げ込んだ子どもを直(ただ)ちにつれて来い!さもないと寺に火を付けるぞ!」と追っ手は声を荒げました。
「一体何を怒鳴っているのかな。そのような子どもは見たこともないわい。」住職は穏やかに答えました。
「確か、夕方、南の方に走って行く子どもを見ましたよ。その子が探している子どもに相違ありません。そんなに遠くには行っていないと思います。」と別の僧侶が言いました。
追っ手はそろって南の方に駆けていきました。
住職は、厨子王に剃髪式(ていはつしき)を行い、黒い袈裟を着せ、僧侶に仕立てあげました。おかげで若い修行僧として都に入ることが出来ました。まず清水寺へ行き、両親の消息がえられるように祈り、その晩はこの寺で一夜を過ごしました。
翌朝、誰かの呼ぶ声で目が覚めました。高貴な身なりをした人が目の前に立っていました。
「私は、天皇に仕える関白師実(もろざね)と言う者です。病気の娘の平癒(へいゆ)を祈ってここに籠(こ)もっています。昨夜仏さまが夢枕に立ってこう言われたのです。『若い僧が小さい地蔵尊を持っている。その地蔵に拝めば、その方(ほう)の娘の病気が治るであろう。』と。あなたがその僧に違いありません。お願いです、どうか地蔵尊をお貸し下さい。」
若い僧はこころよく師実に地蔵尊を手渡しました。なるほど、娘が地蔵尊に祈ると、みるみる内に回復していきました。師実は喜び、若い僧に心より礼を言いました。
「お望みのものをあなたにあげたいと思います。何がお望みか是非お話し下さい。」
「私は、父のことを案じております。私の望みはただひとつ、どこに父がいるか知りたいのです。」
師実はさっそく調べにかかり、厨子王の父、正氏は無実の罪で筑紫の国に送られたことが判明しました。しかし残念ながら、既に他界しており、厨子王はその知らせに深く悲しみました。
「これからは、私を父と思いなさい。あなたの身の立つようにして差し上げましょう。」師実は言いました。
数年後、厨子王は正道(まさみち)と改名し、丹後の領主となりました。その任に着くやいなや、山椒大夫とその郎党を捕らえ、奴婢となっていたものたちの身を自由にしてやりました。残念ながら、その中に姉の姿はありませんでした。あの晩追っ手の連中が山の麓の沼の近くに一足の草履を見つけた、という話を聞きました。
正道は、母を捜しに佐渡島に渡りました。家臣に母を捜させましたが、吉報は得られませんでした。それとなく一人で探してみようと畑の細道を歩いていた時、聞き覚えのある歌声が聞こえてきました。襤褸(ぼろ)をまとった盲目の老婆が、むしろの前にすわり、竹棒を持って、粟(あわ)を啄(ついば)みにくる雀を追い払っていました。その声はかすかで、最初は何を言っているのかわかりませんでしたが、少しずつ聞き取れるようになりました。
♪安寿こいしや ほーやれほー 厨子王こいしや ほーやれほー♪
正道は老婆をじっと見つめると、駆け寄りました。
「母上!」そう叫ぶと、老婆の胸に飛び込みました。
正道は、お守りの地蔵尊で老婆の額をなでました。老婆はゆっくりと目を開け、そして大きく目を見開きました。何十年ぶりに自分の目で我が子を見たのです。
「厨子王!」涙にむせびながら、母親は叫びました。(Kudos)