稲むらの火〜津波〜

tsunami 1854年(安政元年)、11月5日、紀伊の国(和歌山県)有田の庄屋、五兵衛は家を揺るがす地ひびきを感じました。五兵衛の家は、その村を見渡せる小高い丘の上にありました。ただごとではないと感じ、五兵衛は家を飛び出しました。辺りは、夕闇に包まれようとしていました。
五兵衛には、激しいと言うほどの地震ではありませんでしたが、暫く続く、長く、ゆるやかな揺れに、何か災害の前兆のようなものを感じました。
丘のふもとの村を見下ろし、海岸から沖へ目を移した時、五兵衛は思わず「あっ!」と声を上げてしまいました。
「何だ、あれは?」
恐ろしいことが海では起きていました。五兵衛は目を凝(こ)らしました。波が静かに沖へ引いていき、今までよりもっと広い浜辺や、黒い岩肌が現れてきました。
丘のふもとの村人たちは、そんな事が起きているとは夢にも知らないで、豊年を祝う宵祭りの準備で大忙しでした。
五兵衛は山のように巨大な波が、じきに沖合から押し寄せてくる、と思いました。でもここから駆け下りて、村人を丘の上に避難させる時間はありませんでした。
「どうしたものか?」
その時突然、ひらめきました。五兵衛は、黄金色(こがねいろ)の稲束(稲むら)に目をつけました。
『そうだ。これで四百人の村人の命を救えるかもしれない!』
五兵衛は家の中に駆け込むと、燃えさかる松明(たいまつ)をもって飛び出しました。五兵衛は黄金色の稲むらに次々に火をつけました。
五兵衛は六十歳になっていましたが、気が狂ったように稲むらを駆け回りました。
五兵衛は、その年収穫したすべての稲むらに火をつけ終わると、松明を投げ捨て、まるで意識を失ったかのようにぼーっと突っ立ったまま沖を眺めていました。
「火事だ!火事だ!火事だ!」
ガン!ガン!ガン!
男が大声で叫び半鐘を激しく鳴らしました。
半鐘の音を聞き、村人たちは丘の上を見ました。
「火事だ!庄屋さんの家が燃えている!」
村人は、男も女も、年寄りも若い衆(わかいしゅ)も、子供も、みんな手に手に水桶や棒を持って丘に駆け上がりました。
「急げ!急げ!」
五兵衛は、村人達が丘を駆け上がってくるのを見ていました。それは、まるで一本の長いアリの行列のようでした。
まず、二十人ほどの若い衆が丘に着くと、早速火を消しにかかりました。
しかし五兵衛は、火をそのままにしておくように言うと、更にこう付け足しました。
「何としてでも、村の衆みんなに、ここに来てもらいたい。」
「庄屋さん、一体どうなさったんです?」
「今にわかる。村の衆はみんなここに来たか?」
五兵衛は一人ひとり、村人を数え始めました。
「二百五十六、二百五十七、二百五十八・・・三百・・・四百。よし、みんな集まったな。この火事はな・・・ああ!あれを見ろ!」
五兵衛が指差す方を見ると、たそがれ時の薄明かりに、細い、黒っぽい糸が一筋、はるかな海上に見えました。その線は見る見るうちに太く、幅広くなり、もの凄い速さで村の方に押し寄せてきました。
津波だ!」村人達は金切り声を上げました。
tsunami 何百万という、とがった波頭が大軍のように村にのしかかってきました。またたく間に、山のような海水の絶壁と、雷鳴のようなとどろきが、眼下の村に到達しました。
ゴーン!ドーン!バーン!
巨大な化け物は一瞬にして村を呑みこみました。家も、橋も・・・村一体がすさまじいとぐろに巻き込まれていきました。丘の上では、声を出す人は誰もいませんでした。
稲むらの炎は、風にあおられて、燃え上がり、丘の上を煌々(こうこう)と照らし出しました。
村人たちは、悪魔によって跡かたもなくなった廃墟を、ただ、呆然と見下ろしているだけでした。冷たい風が海の方から吹いてきました。
なすべきことをなし終えた五兵衛は、涙を浮かべてぼうっと立ちつくしていました。

2011年(平成23年)3月11日、東北・関東地方は、巨大地震に見舞われました。そしてその地震が引き起こした巨大津波により市や町や村がのみ込まれ、多くの命が一瞬にして奪われました。また、命は助かったものの、家屋や家財道具を失った人もたくさんおられます。
罹災者のみなさまの心中をお察し申し上げ、犠牲者には心より哀悼の意を表します。(Kudos)

小泉八雲「生き神」及び中井常蔵「稲むらの火」より


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