
善意の輪
むかし、むかし、あるところに稼ぎの少ない若い大工が住んでいました。ある日のこと、町での大工仕事の帰り道、肩に道具箱を担ぎ、人影のない道をとぼとぼ歩きながら、むかしの仲間のことを思い出していました。家族を支えるのにもっと稼ごうと村を出て行った者もいれば、自分の夢をかなえようと村を離れた者もいます。しかし男は生まれてからこのかた、両親のお墓のあるこの村にずっと住んでおりました。
日が暮れかけ、あいにく雪も降り始めました。男は足を早めました。すると、行く手に人力車が溝にはまっているのがふと目に入りました。夕闇の中でも困っている様子が一目でわかりました。人力車を引き上げようとしている車夫の傍らに、老婦人が一人、呆然と立っていました。若者は駆け寄り、人力車の引き上げに手を貸しました。二人がかりでやっと引き上げることができました。
「助かりました。ありがとうございます。」車夫が言いました。
しかし、車夫が人力車を引こうにも思うように引けません。片方の車輪が車体から外れかけているのがわかりました。大工は道具箱から鉄槌(かなずち)と釘(くぎ)を取り出すと、車の下にもぐり込みました。手は擦りむけ、仕事着も汚れましたが、人力車は直りました。
修理を終え、鉄鎚を道具箱に片付けていると、老婦人が声をかけました。
「今日は母の命日で、お墓参りに村に行ってきました。ご覧の通り、帰り道に人力車が溝にはまってしまいました。お礼の申しようもありません。いかほど差し上げればよろしいでしょうか。」
男はお金をもらうつもりなどさらさらありませんでした。困っている人をただ助けたかっただけです。いままでに自分を助けてくれたたくさんの人達が脳裏をよぎりました。
「もしそのようなお気持ちがおありなら、時々私のことを思い出してください。そして、今度困っている人に出会ったら、親切にしてあげてください。善意の輪をつなげて下さい。」と男は言いました。
男は、その場に立ち止まって、二人を見送りました。きびすを返すと、寒さが増してきましたが、心にはぬくもりが感じられました。
例の場所から一里ほど離れた茶屋の前で、老婦人は車を止めさせました。家に帰る前に何か温かいものを食べて、冷えた体を温めようと思ったのです。老婦人が食台の前に座ると、粗末な着物を身に着けた若い女の人がやって来て、乾いた手ぬぐいを差し出しました。女の人は老婦人に微笑みました。
「どうぞこの手ぬぐいで髪を拭いて下さい。外はとても寒かったでしょう。火の近くで体を温めて下さい。」
「何とやさしい子なんだろう。」老婦人は思いました。そして女の人が出産間近で、さほど裕福ではないと思いました。ふと大工が言った言葉を思いだしました。
老婦人は、軽い食事を済ませ、女の人にお金を渡すと、お釣りを取りに行っている間にこっそり抜け出しました。女の人がお釣りを持って戻ってくると、お客はもうどこにもいません。どこに行ったのかな、と思いましたが、すぐ食台の紙切れとお金に気づきました。紙切れにはこう書いてありました。
ここへ来る途中、ある人が助けてくれて、お礼をしようとしたところ、「もしそのようなお気持ちがおありなら、時々私のことを思い出してください。そして、今度困っている人に出会ったら、親切にしてあげてください。善意の輪をつなげて下さい。」と言われました。このお金はあなたのものです。使ってください。おつりもあなたにあげます。
その日、仕事を終えて家に帰ると、妻は夫に老婦人のことを話し、食台の上にあった紙切れとお金を見せました。
「どうしてお金に困っていることがわかったのだろう。」夫が言いました。
実際、出産を間近に控え、二人の生活はこれから日に日に苦しくなっていくことでしょう。夫がそのことをとても心配していることはわかっています。その夜、妻は傍らに寝ている夫にやさしく口づけをすると、そっとささやきました。
「あなた、大丈夫、心配はいらないわ。」(Kudos)