ビルマの竪琴（第Ⅱ部）A Lyre in Burma(Part 2)

ビルマの竪琴（第Ⅱ部）

ある日、日本兵の一部隊が山の洞窟に立てこもっている、と言う噂を小隊長が聞いてきました。彼らは降伏を拒んでいるのです。そこで小隊長は水島を呼びました。
「まだイギリス軍と戦っている部隊がいるが、このままでは全滅だ。無駄死にすることになる。自分はイギリスの将校に、日本兵に降伏をすすめるため、我々のうち誰か一人を行かせてくれ、と頼んだところ、許可が出た。
水島、彼らのところへ行って、無駄死にするな、と説得してもらいたいのだ。極めて容易でないことはわかっている。もし気が進まないのなら、私が行こう。」
水島はしばし黙っていましたが、はっきり言いました。
「やってみます。」
１０分後、イギリス兵一人と案内人が、水島と一緒に崖のはるか下の道を歩いているのが見えました。一方、私たちは列車とトラックで南の町に移動しました。そこの収容所で、日本に帰るまでしばらく過ごすことになりました。
それ以来、私たちは、水島が戻って来て、合流するのを心待ちにしていました。水島を懐かしんでは、よくこんなことを言っていました。
「水島の竪琴がないとうまく歌えないな。」
「水島がいないと仕事がはかどらないな。」
小隊長も、
「私が代わりに行くべきだったな。」とこぼしていました。
結局、水島は戻ってきませんでした。

ある日、私たちは町外れの古い橋を修理することになり、作業終了まで数日かかりました。修理を終えて、その橋を渡って戻る時、たまたま、肩に青いインコを載せた一人のビルマ僧に出会いました。私たちはそのビルマ僧を見て驚きました。黄色い僧衣をまとい、頭を剃っていますが、水島そっくりなのです。
「水島そっくりだ。」一人が囁くと、さざなみのように隊員に広がっていきました。
「水島！水島！」
しかし、その僧は無表情で通り過ぎて行きました。

私たちは戦争中に亡くなったイギリス兵の納骨堂の修理にも係わりました。修理が終わり、盛大な葬儀が納骨堂で営まれました。私たちは道端で、納骨堂までの長い葬列を見送るのを許されました。
目の前を歩いていく大勢のビルマ僧の中に、あの橋の上で出会った・・・水島にそっくりの僧がいたのです。見ろよ！白布で包んだ箱を首からつるしている。それは日本人が遺骨を運ぶ時のやり方でした。
「あっ！」小隊長が低い声を上げました。水島かもしれない・・・みんな目を凝らして彼を見ていました。

ある日、私たちは、崖のくぼみに横たわる巨大な涅槃像の前で歌いました。すると美しい竪琴の調べが合唱に加わりました。歌いながら周りを見渡しました。歌い終えるとすぐ、みんなは音が聞こえてきた場所に走り出し、水島を見つけようとしました。みんなは何度も何度も叫びました。
「水島！水島！一緒に日本へ帰ろう！」

そして、ついに日本に帰る日がやって来ました。当日、よく収容所に物を売りに来ていたこの辺りのおばあさんが、私たちの所にやって来ました。おばあさんは袋から鳥を取り出しました。それは、先日小隊長がおばあさんに、水島に渡してくれ、と頼んだインコでした。小隊長は、そのインコに・・・おい、水島、一緒に日本へ帰ろう。・・・と言うように仕込んだのでした。
でもそのインコは、
「ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない。」と言うのです。
「変な日本語を覚えたな。とに角、これはもう用はないな、放してやろう。」と誰かが言いました。するとおばあさんが、
「これ坊さんにあげたのと違う。これ、あのインコの兄弟。よく見る。これ、あれよりちょっと大きい。羽の色もきれい。坊さん、あれの代わりによこした。」と言いました。
インコはもう一度繰り返しました。
「ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない。」
すると、おばあさんは分厚い封筒を小隊長に手渡しました。
「坊さん・・・これ、あなたに渡すようたのんだ。」
それは明らかに水島からの手紙でした。
船が動き出すと、日本兵たちはおばあさんに手を振りました。おばあさんは入口の所に立って私たちを見送ってくれました。
３日後、私たちは、日本へ向かう船の甲板に集められ、小隊長の周りに腰を下ろしました。小隊長は封筒の封を切り、３０枚ほどの手紙を取り出しました。私たちを一瞥（いちべつ）すると、読み始めました。

親愛なる小隊長及び仲間達へ

皆さんと別れてから、とても寂しく思います。皆さんと共にあり、共に働き、共に歌い、一緒に日本に帰って、是が非でも母や友に逢いたいと思います。しかし、私は日本には帰らないことにしました。この国にとどまり、私の義務を果たすことを誓いました。私はこの国のあちこちで野ざらしになっている遺骨を見てしまったのです。遺骨を放置したままには出来ません。私は遺骨を埋葬し、弔い、祈りを捧げたいと思います・・・。

皆さんと別れてから、どうしていたのかお話ししましょう。
私は、あの日、日本兵部隊への説得に失敗したのです。イギリス軍の指揮官から与えられた時間が残り少なくなったので、彼らに言いました。
「イギリス軍は３分後に攻撃してきます。私は戻りますが、両者の撃ち合う中で弾に当たって死ぬでしょう。私が死んだのを見届けたら、どうか降伏して下さい。」と
砲弾の中、私は両方の中程にあった切り株の所に走り、その上で竪琴を弾きました。しかし結局の所、私自身重傷を負ってしまいました。段々と意識が薄らいでいく・・・そんな状況にあっても、幻灯機を見ているように、戦いを止める白旗が振られ、日本兵が要塞から一人ずつ出てきて、イギリス軍の砲撃がやむのを感じ取っていました。
幸いにも、私は山奥の部族に助けられました。十分な食べ物を与えられ、怪我の治療もしてくれました。おかげで、次第に元気になっていきましたが、実は彼らは人食い部族で、私を食べるために回復を待っていたのです。
まさに食べられようとしていた時、酋長の娘が父親に頼んで私の命を救ってくれました。村を出る日、彼女は私にビルマ僧の衣をよこしたのです。さらに腕輪も渡してくれました。それは、高い位の僧だけが身につけることを許される腕輪でした。後々、その腕輪のおかげで、私はビルマの僧侶として大いに助けられました。
黄色の僧衣を身につけ、私は南に向かいました。途中、何十体もの死体が野ざらしになっているのを目にしました。
私は、枯れ木や枯れ枝を集め、火をつけて死体を燃やしました。そして穴を掘り骨を埋め、墓標を立てました。一週間ほどかかりましたが、その間、近くの村にとどまりました。亡き日本兵達のお墓に合掌すると、また皆さんの所に向かいました。
ある日、掘っ立て小屋を見つけたので、戸を開けると、中に日本兵の軍服をきた死体がありました。アリや蛆（うじ）がわいていましたが、脇に幼い子供を抱えている若き父親の写真がありました。その子はきっと父親の帰りを待っているに違いありません。死体を担いで森に行き、写真と一緒に埋めてやりました。
ここへ来る途中あちこちで、日本兵の亡骸を埋葬しました。しかし、一番の衝撃は、川の近くの沼地に投げ込まれた腐敗した死体の山でした。どうすることもできませんでした。ただただ合掌して、その場を立ち去りました。
とある共同墓地を通り過ぎる際、イギリス人が集い、頭（こうべ）を垂れ、真新しい墓石の前で黙祷しているのが眼に入りました。そのあと「埴生の宿」を歌っていました。イギリス人が立ち去り、私は、その墓を見て愕然としました。「日本人無名兵士の墓」と彫ってあったのです。
沼地の死体をほったらかしたまま何もしない私は何と恥知らずの人間でしょう。イギリス人さえもが日本人の御霊に祈りと歌を捧げているというのに。
「ここビルマを離れることができましょうか」「できません。」
私は皆さんのいる収容所には戻らないことにしました。そして川の方へ戻り、途中、皆さんとあの橋の上で会いました。嬉しさ、悲しさ、戸惑いで心臓が大きく鼓動しました。でも、もう日本に帰らないことに決めたのです。私が誰であるか明かすことはできません。「水島はビルマで死んだ。」と皆さんに思わせなくてはなりませんでした。
皆さんはあの涅槃像の前で歌い、私の奏でる竪琴の音を聞いた時、さぞかし驚いたことでしょう。「水島はここにいるぞ。まだ生きているぞ。共に歌おう。」と伝えたかったのです。でも今はビルマの僧です。二度と会うことはできません。皆さんと抱き合うことは出来ません。
このところ、日に日に忙しくなってきています。日本人の御霊だけでなく、この国の人々のためにも可能な限りの努力をしなければなりません。
お別れの言葉は言い尽くせません。永遠に皆さんとお別れする日がやって来てしまいました。これからは、私はこの国をあちこちさすらって歩きます。皆さんのことを思い出して寂しくなったら竪琴を奏でます。これまでのご親切本当にありがとうございました。日本で幸多かれとお祈りいたします。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　水島安彦

小隊長は手紙を読み終えましたが、私たちはしばし言葉が出ませんでした。辺りは暗くなってきました。頭上高く、夜空に無数の星が美しく輝いていました。小声で合唱しました。波の音が、竪琴の音のように、歌と溶け合いました。(Kudos)原作：竹山道夫「ビルマの竪琴」
ビルマの竪琴（第Ⅰ部)