
シロ(後半)
5
最近、数社の新聞に、勇敢な黒い犬が人や動物の命を救った、という記事が載っていました。例えばこんなふうに:
その1
9月9日、黒い犬が、目抜き通り(めぬきどおり)で危うく荷車に轢かれそうになったA子ちゃんを救い出しました。間もなく犬は何処(どこ)かへ姿を消していしまいました。
その2
10月15日、子猫が庭で大きな蛇に飲み込まれそうになりました。そこへ現れた黒い犬が、蛇をかみ殺し、猫は無事助かりました。間もなく犬は何処かへ姿を消してしまいました。
その3
11月30日、登山隊が霧深い山中で道に迷いましたが、黒い犬が現れ、道案内するかのごとく先に立ち、おかげで全員無事、村にたどり着けました。しかし犬は間もなく山中に姿を消しました。
その4
12月21日、B村で火事が起こり、大火事になりました。燃え盛る炎の中から黒い犬が現れ、その口には赤ちゃんをくわえていました。赤ちゃんは泣き叫んでいましたが傷一つありませんでした。しかし、犬はいつしか人混みに姿を消していました。
巷(ちまた)ではもっぱら勇敢な黒い犬のことで持ちきりでした。
6
真冬のある真夜中のことです。僕は心も体もヘトヘトでした。僕は自分のもとの犬小屋や僕を可愛がってくれた人達が懐かしくなりました。気がつくと、いつの間にかご主人の家の前にたどりついていました。明るい月が頭上で煌々(こうこう)と輝いていました。あたりは静まりかえっていました。みんな自分の部屋でぐっすり眠っているのでしょう。犬小屋はもとのままでした。何時しか僕はその中で寝てしまいました。夢の中で、僕はお月さまに告白しました。
「お月さま、僕は親友を見捨てました。それで身体中が真っ黒になったのかも知れません。僕は、黒い犬のままでいるなんて嫌です。これからもずっと黒い犬のままならいっそ死んだ方がましです。思い切って死のうとしました。通りに飛び出して女の子を救ったり、大きな蛇に咬(か)みついて猫を助けたり、山奥で道に迷った人達を先導したり、燃えさかる家に飛び込んで赤ん坊を助けたり、いろいろしてみました。いつでも死ぬ覚悟はできていたのですが、まだ生きています。命を絶とうともしましたが、駄目でした。死に神が僕を避けて通り過ぎているようです。そんな日々ですが、僕はご主人と家族のことは一瞬たりとも忘れたことはありません。いつでもみなさんに会いたい気持ちで一杯でした。お月さま、僕は、あの世への旅路からはるばる家に帰ってきました。もう一度だけ懐かしい人達に会わせてください。」
7
「わぁ!」
「夢みたい!」
翌朝、僕は子どもたちの叫び声で目が覚めました。お嬢ちゃんとお坊ちゃんがかがみ込んで犬小屋を覗いていました。
お坊ちゃんは興奮して叫びました。
「お父さん!お母さん!来て見て!シロが戻ってきたよ!」
「シロ?僕のこと、シロって言ってるの?」
僕は小屋から飛び出して、二人を見上げました。お嬢ちゃんは、僕をぎゅっと抱きしめました。きっと今まで何処かへ逃げてたんだ、と思ったのでしょう、僕はお嬢ちゃんの目を覗きました。
「ワン、お嬢ちゃんの目の中に白い犬が映っている。それって僕だよね?」嬉しくて声を張り上げました。
「シロの目から涙が出てる!」お嬢ちゃんは、僕を強く抱きしめながら、お坊ちゃんに言いました。
「お姉ちゃんだって!」お坊ちゃんがにこにこして言いました。(Kudos) 原作「白」芥川龍之介
シロ(前半)
犬の飼い主への10戒