曾根崎心中(生玉神社前の段)

登場人物 徳兵衛(25歳)おじの醤油屋で働く手代。
     お初 (19歳)天満屋(女郎屋)で働く女郎。
     九平次(25歳位)徳兵衛の友人、油屋の主人。
時と場所 江戸時代(18世紀)、大阪

第1幕  生玉(いくだま)神社前の段
(徳兵衛とお初は深い恋仲であり、将来結婚の誓いを立てている。外回りの仕事に出ていた徳兵衛は、偶然生玉神社の近くで茶屋の腰掛けに座っているお初を目にする。)
Ikudama shrine 徳兵衛: お初じゃないか!こんな所で出会うとは思わなかった。
お初: まあ、徳兵衛さん。しばらく会いに来て下さらなかったので心配していました。何かよくないことでもあったんですか。それとも私のことがもう嫌いにおなりですか。
徳兵衛: 言うまでもない。私はあんたが好きだ。逢瀬(おうせ)を重ねたいのは山々なんだが・・・すまぬ。ちょっと面倒なことになったんだ。私のおじさんを知っているね。その人が私の主人なんだが、おじさんの妻の姪にあたる人とのはなしを私にすすめるんだ。あんたのことを話して断ったら、ひどく腹を立てて、その姪と夫婦(めおと)になれとしつこく言うんだ。あげくの果て、継(まま)しいおっ母さんに結納金まで渡して、どうしても姪と結婚させようという気だ。
お初: え、それでおっ母さんはそのお金を受け取ったの。
徳兵衛: そうさ、おじさんは断れるものなら断ってみろ、って言うんだ。あのお金を返せなかったら、大阪を出るしかない。急いでおっ母さんの所へ行って、お金を返してくれるよう何回も頭を下げてお願いしたら、しぶしぶ戻してくれた。
お初: よかったわ!おじさんにお金を返せるのね。
徳兵衛: 事はそう簡単ではないんだ。帰り道、友達の九平次にばったり出会ってしまった。あいつ、面倒を起こして金がどうしても必要だと言うんだ。気の毒になって、おっ母さんから取り戻したあの金、おじさんに返す金を、期日までに返してもらうという約束で貸してしまったんだ。
お初: 何ということを。もし返してくれなかったらどうするの。
徳兵衛: 九平次なら大丈夫だと信用したんだが、すでに約束の日が過ぎている。やむない事情があるんだと思う。九平次のところへ行ってこようと思う。ところで、顔色がすぐれないね。何か心配事でもあるのか。
お初: 心配をかけてごめんなさい。実は、私も今困っているの。羽振りのいい人がお店に来て、私を身請けしたいそうなの。私の立場では、とても断れないわ。どうしたらいいのでしょう。
(お初は徳兵衛にすがりついて泣く)
徳兵衛: お初、泣くな。明日は明日の風が吹く。おい、見ろよ。九平次がこっちに来るぞ。
(九平次が仲間数人と現われる。徳兵衛は九平次に駆け寄り、腕を掴む。)
徳兵衛: 九平次、あの金をすぐに返してくれ。期日はもうとっくに過ぎているぞ。
(九平次はあざ笑う。)
九平次: 徳兵衛、何のことだ。お前なんぞから鐚一文(びたいちもん)借りてないぞ。
徳兵衛: 見てみろ、この証文にはお前の判子が押してある。それでも白を切るつもりか。
ohatu tokubei 九平次: ああ、思い出した。この間、判子をなくしたんだ。さてはお前が盗んで、無断で押したな。そうはいかんぞ。みんな、やっちまえ!

(九平次とその連中は徳兵衛を取り囲み、蹴(け)ったり、殴(なぐ)ったりして去っていく。お初は倒れている徳兵衛のもとに駆け寄り抱き起こす。)
お初: 何とひどい人たちでしょう!徳兵衛さん、大丈夫。もし私が原因ならご免なさい。二人とも抜き差しならない羽目(はめ)に陥ったのね・・・この世でもはや逢えなくなったとしても、あの世できっと出逢えるでしょう。死ぬのは恐くありません。あなたと一緒に死ねたら何と幸せでしょう! 私たちが三途(さんず)の川を渡るのを邪魔するものは何もありません。
徳兵衛: そんなふうに言ってくれるなんて。やっぱり私が心底好きなのはあんただ。私も死ぬのは恐くない。(kudos 作:近松門左衛門)
第2・3幕

A Love Suicide at Sonezaki