セロ弾きのゴーシュ(中)

gaushe1 次の晩、ゴーシュは黒い大きなチェロケースを抱えて、家に帰ってきました。水を一杯グイッと飲むと、昨晩と同じようにチェロを弾き始めました。真夜中を過ぎても弾き続けました。・・・1時、2時・・・ゴーシュは時間が経つのも、自分が何をしているのかも忘れてチェロに没頭していました。その時ドアを叩く音がしました。
「またあの猫だ。まだ懲(こ)りないのか。」
ゴーシュがそう言った時でした。灰色の鳥が屋根裏の天井の穴から舞い降りてきたのは。それは、郭公(カッコー)でした。
「鳥か?何の用だい。」
「音楽を教わりたいのです。」郭公はすました顔で答えました。
ゴーシュは笑ってしまいました。
「音楽だって?お前の音楽なんて、『カッコー、カッコー』だけじゃないか。」
「その通りです。でも私にとって歌うのは、そう簡単なことではないんです。」
「簡単そうに見えるけどな。いつも『カッコー、カッコー、カッコー』と鳴いているだけで、みんな同じ『カッコー』に聞こえるけどな。」
「いいえ、とても難しいのです。どの『カッコー』もそれぞれ違う響きをしています。いいですか、この『カッコー』とこの『カッコー』は全く違うでしょう?」
「俺には同じようにしか聞こえないな。」
「それは、あなたたち人間には音の違いがわからないからです。一万回『カッコー』と鳴けば、一万回違う響きなんです。」
「勝手にしろ!それが分かっているんなら、どうしてここに来たんだ。」
「えーと、つまり『ド、レ、ミ、ファ』の音階を正しく歌いたいのです。」
「『ド、レ、ミ、ファ』?帰れ!」
「異国に渡る前に教わりたいのです。」
「異国に渡る?変なやつだな。」
「『ド、レ、ミ、ファ』の歌い方を教えて下さい。後について真似をしますから。」
「面倒くさいな!じゃあ、3回だけ弾いてやるから、そしたら、さっさと帰れ。」
ゴーシュはチェロを構え、弦を調整すると、『ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド』と弾きました。それを聴いて、郭公はあわてて羽をパタパタさせました。
「違います。違います。それは私が教わりたいことではありません。」
「うるさい!じゃ、どうするのかやってみろ。」
「こんなふうです。」郭公は前かがみになり、その姿勢のまま鳴きました。
「カッコー!」
「何だ?それが、お前の『ド、レ、ミ、ファ』か?お前の『ド、レ、ミ、ファ』も俺たちの『田園交響曲』も、お前にとっては全く同じものなんだろう。」
「違います。同じではありません。」
「じゃあ、どう違うんだ?」
「私たちは、『カッコー』をずっと歌い続けるんです。そこが違います。」
「つまり・・・こんなふうか?」そう言うと、ゴーシュはまたチェロを構え、
「カッコー、カッコー、カッコー、カッコー、カッコー・・・」と立て続けに弾きました。
cuckoo 郭公はとても嬉しくなって、途中からチェロに合わせて鳴きました。
「・・・カッコー、カッコー、カッコー、カッコー・・・」
郭公は体を曲げて、一生懸命歌うのです。ゴーシュはしまいに手が痛くなってきました。
「おい、おい、もうたくさんだ。」
ゴーシュは大声で言うと、演奏を止めました。郭公は残念そうに、しばらく、
「・・・カッコー、カッコー、カッコー、カッ、クッア、クッア、クッア、ク、ク」と歌い続け、止めました。
ゴーシュは腹立たしげに言いました。
「郭公、もう終わったんだから、とっとと帰れ!」
「もう一回だけお願いします。完璧だと思っているかも知れませんが、ちょっと違っていたんです。」
「何だと?お前から教わるつもりはないわ。帰れ!」
「どうか、もう一回だけ弾いて下さい。もう一回だけ。」郭公は何度も何度もゴーシュに頭を下げて頼みました。
「よし、これっきりだぞ。」
ゴーシュは、弓を構えて、弾く用意をしました。郭公は息を吸うと、
「できるだけ長く『カッコー』を弾いて下さい。」と言いました。
ゴーシュは苦笑いをしながら、『カッコー』を弾き始めました。郭公は真剣に『カッコー、カッコー、カッコー、カッコー』と歌い始めました。
ゴーシュも最初は苛立っていましたが、郭公の『カッコー』の方が、自分の『カッコー』よりも上手いな、と思うようになりました。弾けば弾くほど、郭公の歌の方が上手い、と感じました。
「くそっ!こんな馬鹿げたことをしていたら、俺の方も、鳥になってしまう。」
ゴーシュは、そう思うと、突然演奏を止めました。しかし郭公は直ぐには鳴きやみませんでした。しばらくの間、
「・・・カッコー、カッコー、カッコー、カッ、クッア、クッア、クッア、ク、ク」と歌い続けました。
とがめるような目つきでゴーシュを見て、郭公が言いました。
「どうして止めるんですか。郭公は血を吐くまで歌を止めることはありません。」
「黙れ!こんな馬鹿らしいことはもうご免だ。失せろ!見ろ、もうすぐ夜が明けるぞ。」ゴーシュは、窓を指さしました。
「太陽が昇るまで、もう一回お願いします。」
郭公は何度も何度も頭を下げました。
「うるさい!まぬけ!さっさと出て行かないと、朝飯に食(く)ってしまうぞ。」
ゴーシュは床を踏み鳴らしました。
郭公はとても驚いて、突然、窓に向かって飛んで行きましたが、窓ガラスに頭をぶつけて床に落ちてしまいました。
「ガラスに頭をぶつけるとは馬鹿なやつめ!窓を開けてやるから待ちな。」
ゴーシュはガタガタさせて古い窓を開けようとしましたが、簡単には開きませんでした。郭公は、我慢できず、飛び去ろうとしましたが、またしても窓ガラスにぶつかってしまいました。ゴーシュは、郭公のくちばしの付け根から血が出ているのを見て、かわいそうに思ってガラスを足で蹴りました。窓ガラスが粉々になると、郭公は矢のように真っすぐ飛んで行きました。
ゴーシュは、うんざりした表情で、しばらくの間、外を見ていましたが、部屋の隅に横になると眠りに落ちました。

kodanuki 次の日の真夜中、ゴーシュはチェロの猛練習を終えて、水を一杯飲みました。その時、またドアを叩く音がしました。
ゴーシュは、グラスを持ったまま、誰かが入ってくるのを待ちました。誰が来ても追い出そうと思っていました。ドアが開くと、子ダヌキが部屋に入ってきました。ゴーシュは、ドアを広く開けてやり、脅かしてやろうと床を踏み鳴らして大声で叫びました。
「やい、こら!タヌキ汁がどんなものか、知ってるか?」
 タヌキは、きょとんとした表情で、床にきちんと座り、首を傾(かし)げました。ゴーシュのその質問には、ちょっと戸惑った風でした。
「僕、わかりません。」
ゴーシュはわざと険しい表情で言いました。
「そうか、それでは教えてやろう。タヌキ汁とはな、タヌキの肉とキャベツを煮込んで、塩で味付けした煮込み汁だ。」
子ダヌキは驚いた様子で、首を傾げて言いました。
「でも、父さんは、ゴーシュさんは根は優しい人だから、恐がらなくていいんだよ、って言ってたよ。ゴーシュさんに教わっておいでって。」
ゴーシュは思わず吹き出しました。
「何を教わろうってんだい?忙しいんだよ。それに、もう眠い。」
タヌキは勇敢にも一歩前に進み出ました。
「僕は、小太鼓を叩きます。チェロに合わせて練習するよう、父さんに言われたんです。」
「でも見たところ太鼓なんて持っていないじゃないか。」
「ここにあります!いつも持っています。」そう言うと、タヌキは背中から棒切れを2本取り出しました。
「それでどう演奏するんだ。」
「これでお腹を叩きます。『陽気な馬車屋』を弾いてくれませんか?」
「それはどんな曲だ?ジャズかい?」
「これです。」
タヌキは背中から譜面を取りだすとゴーシュに渡しました。ゴーシュは譜面に目を通し、笑いました。
「ちょっと変わった曲だな。いいだろう、弾いてやろう。チェロに合わせて太鼓を叩け。」
ゴーシュはタヌキがどうするのか興味津々(きょうみしんしん)で、演奏しながらタヌキをチラチラ見ました。タヌキは棒切れでチェロの下の部分を叩き始めました。ゴーシュは愉快になりました。曲を終えると、タヌキは頭を傾げ、ちょっと考えて言いました。
「ゴーシュさん、第2弦を弾く時、ちょっと遅れます。だから僕上手く叩けません。」
ゴーシュはふと思い出しました。ゴーシュも第2弦の音が少し遅れていることに気づいていました。
 「うん、確かにその通りだな。このチェロは、とても古いんだ。」と、悲しげに言いました。
「どうしてですかね。もう1回弾いて下さい。」
「いいだろう、弾いてやろう。」
ゴーシュがチェロを弾き、タヌキは前と同じようにチェロの下の部分を叩き、時々屈(かが)んで耳をチェロに近づけました。ともかく、ゴーシュとタヌキは自分たちの演奏に満足するまで一緒に演奏しました。
「あっ、もう夜明けだ!おしまいにしなけりゃ。ありがとうございました。」
そう言うと、タヌキは、譜面と棒切れを背中に背負って、2,3回お辞儀をして、急いで帰って行きました。
ゴーシュは、しばらくボーっとしていましたが、深呼吸して、昨夜壊した窓から入ってくる空気を吸い込みました。でも、眠って元気を取り戻そうと、寝床にもぐりこみました。(kudos)原作:宮沢賢治 版画:畑中 純

(下)に続く

セロ弾きのゴーシュ(上)

セロ弾きのゴーシュ(下)


Gauche the Cellist(Part 2)